月尾嘉男教授取材レポート(2014/2/26)

[ 取材レポート ]

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東京大学名誉教授で、数多くのメディアに出演され、出版物も出されている月尾嘉男先生からお話しをうかがうことができました。温暖化をはじめ環境破壊が叫ばれている昨今ですが、私たちはどう自然と向き合っていけばいいのでしょうか?月尾先生自身、大学で生産技術の研究をし、それが人間の社会に有益だということを信じていましたが、カヌーなど自然に触れあう機会も多かったことから自身の研究にも疑問を抱くようになったそうです。
今、地球上では人間は我がもの顔をしています。ならばそんな人間の行為を切ってしまうことが良いことなのでしょうか?月尾先生の話のなかから、地球上における私たち人間の立ち位置というのが見えてきたような気がします。


工学など生産技術がもたらすマイナス面への反省と自然と触れあった幼少期

−−先生が環境問題に関心を寄せるようになった理由をお聞かせ願えますか?
月尾(以下T):二十数年前、工学部に所属し、生産技術を研究していました。あるとき、そのような工学の成果が、すべての面において社会に役立っているかということに疑問をもつようになりました。例えば自動車は工学技術の素晴らしい成果ですが、自動車事故よって世界中で1年間に130万人以上の人が死んでいます。一方、ベトナム戦争は10年間で240万人、1年では24万人の死者を出しました。どちらも悲惨な数字ですが、ベトナム戦争の5倍もの死亡者を毎年出す工学技術に疑問を持つようになったのです。先端技術は社会にとってプラスになっている面も当然ありますが、マイナス面もあるという意識が自分の中に芽生えたのです。
 私は子供の頃からスキーをしていましたが、そのようなことに気付いた時期からカヌーを始めました。カヌーに乗ると自然に触れあう機会が増え、それらがいかに大切なことかを知るようにもなりました。

−−戦後、高度成長期における大量生産、大量消費への疑問とは違うのでしょうか?
T:大量生産、大量消費への疑問というよりも、それを作る技術そのものへの疑問です。例えば原子力発電を停止している現在、電力不足が問題になっています。一方、日本では温水洗浄便座が流行っています。それが使用する電力を計算すると、日本にある温水洗浄便座の30%ぐらいが朝一斉に使われた場合、廃炉が決定した福島第一原子力発電所の6基の発電機がフル稼働したときの電力と同じ量を使っています。

−−環境問題がなぜここまで騒がれるようになったのか?その原因はどこにあると思われますか?
T:環境問題の根源は人間が増えすぎたことです。人間が減少すれば環境問題も緩和します。第二の原因は技術が発展したおかげで人間がエネルギーを大量に使うようになったことです。1万年前と比べると、人口が1400倍に増え、一人が使うエネルギーの量は100倍以上になりましたから、人間が消費するエネルギーは過去1万年で14万倍に増えています。

−−エネルギー消費と人口増加が環境問題の原因ですか。
T:しかし、どの国も人口は増やしたいと考えています。日本も少子化担当大臣がいますし、中国も一人っ子政策はやめました。生物の二大原則の第一は自己を維持することで、第二は子孫を増やすことです。人口が増えるのは原則に合致しているのですが、人間の場合、膨大なエネルギーを消費しながら増えているということが環境問題の大きな原因です。その現実的な解決の一例として「コンパクト・シティ」が登場しました。「コンパクト・シティ」とは高密な空間に住宅もオフィスも余暇施設も用意され、通勤は徒歩で可能という都市です。しかし「コンパクト・シティ」によって失うものもあります。自然の中で暮らすという楽しみです。これは高層ビルの中では味わうことができません。しかし高層ビルに住むのも、自然の中に住むのも、どちらが良い悪いではなく、人間それぞれの価値観の問題です。また資源を使ってでも人口が増えていくことが良いという考えも否定できません。

「自助」と「共助」の大切さ

−−今私は、再開発による高層マンションに住んでいまして、それは大手のデベロッパーが作ったわけではなく言うならば町内会で作った建物ですので、見かけは近代的にですが、以外と島社会、村社会みたいな町内会というコミュニティが残っています。
T:そういうコミュニティがあることは良い反面、都会に集まる人の中にはそれを煩わしいと思う人もたくさんいます。

−−ただ私がミクロネシアの方に旅して思うのは、向こうは酋長制が今でも残っているくらいコミュニティというものがしっかりしています。文化的には遅れている土地ですが、何かセレモニーがあると酋長の一声でコミュニティがまとまり、みんなで何とかしようとします。それは素晴らしいと思いますし、彼らから学ぶところも多いと思います。
T:私もこの6年で30くらいの先住民族を訪ねましたが、彼らを見て思ったのは、遅れているのではなく、伝統的な社会を維持しているということだと思いますし、重要なことだと思います。
 しかしブータンでは、1999年にインターネットが解禁されてから、若者が都会に流れ込み、昭和30年代の東京や大阪のようになっていました。これは人口数十人の田舎の村で、人目を気にしながら生活するのを嫌い、都会の生活を好む人が増えてきた証拠と言えます。それも間違いではありません。

−−そうかも知れませんが、今の日本では地域社会というのは忘れかけていますよね?私は地域社会を考えることは環境問題の根本だと思いますが、今の日本では地域のことを考えずに、日本という「国」のことばかり考えすぎているのではいでしょうか?
T:「自助」、「共助、」「公助」という概念があります。現在の日本の社会に無くなっているのは「自助」と「共助」です。つまり自分たちで解決せずに公に依存していることが多い社会です。例えばヘビが出れば、以前は自分で捕まえて野原に放していました。しかし現在ではすぐに役所に連絡して駆除してもらっています。また救急車をタクシー代わりに使うというのも一例です。このような現状は変えていく必要があると思います。

−−ところで今我が家では衛星放送で自動車をレストアする海外番組を良く見ています。ポンコツを動くようにするという考えは、まさにリサイクルの精神だと思い、そう言う気持ちは日本人以上に外国の人の方が強いのかなとも思いました。
T:私もよく見ています(笑)。ただし、日本は狭い国ですからガレージで直すと言うことは出来ませんし、直したからと言って燃費の悪い自動車を使うのが良いのかという問題もあります。それよりも最新の技術によって作られた燃費の良い自動車を使う方が良いとも言えます。それは家電製品についても言えることです。1時間あたりの消費電力の観点からすると、10年前のテレビをそのまま使うよりも、最新のテレビを使った方が消費電力は1/5で済むことが実証されています。古いものを大事に使うという精神は重要ですが、消費するエネルギーを考えると最新の方に買い替えた方が良いとも言えます。また生産効率を考えた場合、1台の自動車を時間をかけて直すのならば、他のことに時間を費やした方が社会の生産性の観点からは良いかも知れません。つまり全てにおいて何に価値を置くかです。

温暖化問題、捕鯨問題、原発問題、小笠原空港問題・・・・・・多様な社会や考え方を認識することが重要

−−色々な有識者の方に聞いている質問があります。捕鯨もそうですし今後クロマグロ漁もそうでしょうが、環境保護を優先することによってそれを生業にしてきた人たちの生計がたてられなくなります。つまり環境保護の裏側で斬り捨てられようとしているマイノリティがいるのですが、それについてどう思われますか?

T:イヌイットは年間60頭のホッキョククジラを獲ることを許されています。


−−先住民生存捕鯨ですね。

T:そうです。その地域の伝統的を、違う価値観から見て断罪するのは間違っていると思います。
 結局、環境問題を考えるには「社会が多様である」こと、多様な社会には多様な文化が存在していることを認識することが大事です。原子力発電所の問題でも、現状は賛成か反対かのガチンコ勝負になっていますが、それぞれの意見や立場を孤立させないないことが重要で、お互いに理解して妥協点を見つけなければならないです。
 さらに、これら多様な存在が複雑に入り組んでいる関係を切らないことも大切だと思います。これは環境問題を考える基本です。「エコロジー」という言葉はドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルが1850年代に作りました。それまでの生物学はタコならタコだけ、イカならイカだけを徹底して研究していました。ヘッケルはそうではなく、例えばイカは小魚を食べ、小魚は動物プランクトンを食べ、動物プランクトンは植物プランクトンを食べ、植物プランクトンは水中のミネラルを栄養にするという連鎖があり、それによって生態系が維持されているので、その複雑な関係を研究しなければ環境は理解できないと考え、エコロジーという学問を提案しました。一部の生物種が絶滅することがどれだけ環境に影響するかを考えることが重要で、それは壁からレンガが一個一個と抜け落ちていき、最後は全てが崩れてしまいますことに相当します。

−−賛成反対の話しですと、小笠原諸島では空港の問題は今でも続いています。環境破壊してでも空港が欲しいという人の意見は正論だと思います。反面環境を守るために空港はいらないと意見も正論だと思います。地元の人たちがしっかりと議論を続けていかないと、そのうちNGOとか環境保護団体がと言ったよそ者が入り込んで、シーシェパードに街を乗っ取られてしまった太地のようなると思います。

T:太地の人にとってみれば、これまで通りのことをやっているのに、何故?という感じだと思います。

安定した環境を望む私たち。しかし環境は変化しているということも受け入れるべき

−−しかし環境保護を訴える人のなかには、「切られるマイノリティには申し訳ないけど、早急に手を打たないと温暖化などで地球環境はますます悪くなる」と先を焦る人もいますよね?
T:最近の日本では、北海道で生産されるコメは新潟のコメよりも美味しいと言われています。これまでサクランボは福島や山形で生産されていましたが、最近では北海道の富良野に移りつつあります。北海道の視点から見ると、温暖化は良いとも言えます。穀物も従来は生育しなかった土地で生産できるようになるので、温暖化は世界全体の穀物生産には良いという経済学者もいます。
 また炭酸ガス濃度を抑えると寒冷化に向かうという学者もいます。人間にとっては温暖化よりも寒冷化の方がはるかに厳しい状況です。温暖化しても簡単に死ぬことはないでしょうが、寒冷化した場合には大量のエネルギーを消費しないと生きられないと思います。

−−一般の人にはそこまでの話しは聞かされていませんよね?反面「地球は温暖化している」とマスコミから一方的にすり込まれていますよね?マスコミが一方的な報道しかしないということは昨年取材した「温暖化反対論者」の渡辺正先生(東大生産技術研究所前所長)もおっしゃっていました。
T:報道ステーションに出演していた時に、番組で温暖化問題が取りあげられました。私が「世の中では温暖化を騒いでいるが、寒冷化するという学者もいます」と言ったら、渡辺先生と一緒に本を書かれている寒冷化論者の伊藤公紀先生(横浜国大)に「テレビでそういうことを言うのは画期的だ」と言われました(笑)。マスメディアは多くの人が関心を持つことだけを報道するのです。それはテレビなら視聴率、新聞なら販売部数の問題があるから致し方ない面もあります。しかしマスメディアの情報だけに頼っていると、それに流されてしまします。やはり少数派などの意見も聞くべきでしょう。それも「多様」という言葉の意味だと思います。

−−私がお客様に話しをする時も、決して「サンゴは死滅している」「守らなければいけない」と終着地点ありきで話すようなことはせず、その途中途中の議論の過程の方が重要だと思って話しをしています。
T:サンゴは沖縄では死滅しているかも知れませんが、紀伊半島などに北上しているわけです。ある地域のサンゴが無くなるということは短期間では心配かも知れませんが、長期の時間で地球の歴史を見ると、大量絶滅が何度も繰り返されているわけです。安定していることは良いかも知れませんが、環境は変わるということも認識しないといけないと思います。

−−私はミクロネシアによく行きますが、自然と同化した彼らの生活も羨ましく思います。
T:しかし、例えば病気になったときにどうするかという問題があります。サハラ砂漠で生活している家族は病気になった時、人が住んでいるところまでは徒歩で5時間かかると言っていました。そこに診療所があるのですが、病院はさらに遠くにしかないので、多くの場合は命を落とすそうです。話しをしてくれた人も7人いた子供全員が若いときに死んでいるそうです。生物として見ると子供の時点で多く死ぬのは普通ですが、人間という立場で見ると悲惨なことです。だから小笠原でも必ず緊急医療の問題が出てきます。
 このような例もあります。1970年にナイル川中流に完成したアスワンハイダムは毎年1回、下流で発生する洪水を防ぐことが重要な目的でした。しかしダムが出来る前は洪水によって腐植土が流域の農地に広がっていき、ナイルデルタは世界でも数少ない麦の連作が出来る土地でした。またナイルデルタでは海水が地中からわき上がってくるのですが、これも洪水によってきれいに洗い流されていました。しかし洪水を止めたために腐植土はこなくなり、塩害も発生し、マイナスになってしまったわけです。これは自然の循環を切ってしまったために起ったことです。
 ひとつの視点だけを信じて生きていくことは精神的に楽ですが、そうではない視点も存在するということも知るべきだと思います。それが多様ということです。

−−ダムや小笠原諸島の空港の話しと似ていますが、東北の震災以降、防潮堤の問題がでていますよね?あれだけの被害を出した地震です。景観を壊してでも人命を優先させるために防潮堤建設が必要という意見もわかりますが、逆に三陸のきれいな景観を維持しようという意見も重要だと思います。
T:私の意見は明確で、自然の循環を切断する防潮堤の建設はやめるべきだと考えています。人命は別の方法で救えます。石巻市の大川小学校では多くの児童が亡くなり問題になりました。しかし釜石市の小学校や中学校では99.8%の生徒が助かりました。それは日頃から避難訓練をしていたからです。1兆円前後の税金を投入して防潮堤を建設するのではなく、100万円単位でできる避難訓練をするほうが命は助かるのです。

−−ところで政府が進めている「三つのR」というのがありますが、意外とこれらはハードルが高いところがあります。ゴミの分別もそうですが面倒臭い面があったりします。また体に良い有機野菜とかを摂取するようになると、経済的な負担も増えてきます。それらに関してどう思われますか?
T:江戸時代は普通にしていたことですが、近代社会になってできなくなってきました。現在の社会で「三つのR」を徹底して実践すると多くの企業は倒産します。だれもが自動車を修理して使い続けると自動車会社は倒産して、日本の貿易も崩壊します。現代の産業構造は「三つのR」を前提としていないので、社会全体も「三つのR」を疎外するような構造になっています。
 有機野菜も良いのですが、それだけでは世界の需要はまかなえません。それらは理想ですが、社会の構造自体を長い年月をかけて変えていかないと実現しません。現在、温室栽培により野菜は一年中供給されていますが、多くの野菜は冬には採れないものです。重油を使って温室で育てていているか、海外で育てた野菜を多量のエネルギーを使って輸送しているから食べられるということにも気付くべきです。

カヌーをやって学んだ自然界における人間の小ささ

−−最後にカヌーをされ色々と自然に触れあう機会の多い先生ですが、自然とうまく付き合う方法はありますか?
T:人間というのは自然のなかのほんの一部だということを理解することが大切です。地球上に棲息している生物は人間が認識しているだけでも200万種類と言われています。それ以外に、学者によっては5千万種類が棲息していると推測しています。すなわち、人間は多様な自然界の5千万の1種類だということを理解することが大切です。その1種が自然のなかで君臨しています。そこを認めることが大切です。自然の中に身を置くと人間が小さいということを実感します。自然を体験すると言ってもガイドが案内してくれる周到に用意されているツアーではなく、何もない所に行くと「人間はこの程度の存在か」ということを実感します。2004年に南米大陸の最南端のホーン岬をカヌーで廻ったとき、途中で20キロ位の海峡を渡ったことがあったのですが、風が強くて4日間身動きがとれませんでした。大型船であれば楽々と航海できる風速ですが、人間の漕ぐカヌーでは、風が収まるのを陸上で待つ以外に手段はありません。そのときは本当に人間の能力の限界を実感しました。
 先住民族も現在では自動車、インターネット、家電製品を使っていますが、それでも彼らは独自の文化を維持して生活しています。例えば北海道のアイヌの人々は森にキノコ採集に行っても、すべてを採集しません。また網目の大きいカゴを使い、キノコを入れて歩くと胞子が落ちるようにしています。その森も共有地なので自分たちで管理しています。かつては日本の山村にあった入会地の仕組が維持されているのです。

−−キノコも採りすぎないのですね。
T:そうです。採りすぎることを戒める神話もあります。

−−ミクロネシアの方に行っても、そういう民話が多く存在しています。
T:そうだと思います。

−−今日はありがとうございました。

【月尾嘉男】
1942年生まれ。1965年東京大学工学部卒業。工学博士。
名古屋大学教授、東京大学教授などを経て東京大学名誉教授。2002年総務省総務審議官。コンピュータ・グラフィックス、人工知能、仮想現実、メディア政策などを研究。全国各地でカヌーやクロスカントリースキーをしながら、知床半島塾、羊蹄山麓塾、釧路湿原塾、白馬仰山塾、宮川清流塾、瀬戸内海塾などを主宰し、地域の有志とともに環境保護や地域計画に取り組む。主要著書に「日本 百年の転換戦略」(講談社)、「縮小文明の展望」(東京大学出版会)、「地球共生」(講談社)、「地球の暮らし方」(遊行社)など。

月尾嘉男公式サイト