ミクロネシアのトラック諸島は私たちの架け橋【2022/8/16】

[ ■ 日々の事 ]

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昨日15日は77回目の終戦記念日です。
ミクロネシア連邦チューク諸島は旧名トラック諸島と呼ばれ、かつては日本の帝国海軍の重要な基地がありました。堡礁の地形は船を停泊させるにはもってこいの場所でしたが、1944年2月の米軍による空襲で基地機能を失ったそうです。沈んだ隻数は約70とか。沖縄のような陸戦はなく、生き残った人もいたそうですが、その後食料がなく餓死した人が十万人単位だったと聞いています。
今チューク諸島はレックダイビング(沈没船)の世界で最も有名な場所になっています。日本からも、欧米からも多くのダイバーが駆けつけてきます。
その沈没船の場所を調べ上げたのがダイブショップ・オーナーのアッピンさん、彼のお父様、キミウォ・アイゼック氏です。スクーバを開発したクストーとも潜った方ですが、20年以上前に亡くなってるので、残念ながら僕は会ったことありません。息子のアッピンさんだけです。
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キミウォ・アイゼック氏は'44年の空襲を経験し、目の前で沈んでいく日本の船を見ていたそうです。ここに来たダイバーは皆ダイビングする前夜にキミウォさんの生の話しを聞いてから、翌日沈んでいった船を潜ったそうです。恐らく「あのときこんな攻撃があって、あの船は沈んでいった」や「日本の兵隊とはこんな付き合いがあった」などでしょう。
かつていがみ合ってた日本人もアメリカ人もチューク諸島でのレックダイビングを通して心が通じ合うバディになれたと思っています。まさにチューク諸島という土地が日本人とアメリカ人を引き合わせたと言っても良いでしょう。私たちの架け橋です。一番上の写真はダイブショップの35周年記念パーティの模様で、人種関係なくみんなで飲みました。
この地で欧米人と一緒に潜るのは意味あることだと思っています。そしてやっぱり戦争は絶対にしない方が良い。憲法もこのままで良い、とも・・・・・・。そう未来に伝えていくことが私たちカメラマンの仕事であると思っています。